人間生きていれば、なにかしら理不尽な事態にはめぐりあいます。
事の大小はあるにせよ。
競泳の池江璃花子選手が、オリンピックを目前にして白血病に罹患したことなどもその例でしょう。
かつて白血病から復帰して、オリンピックで金メダルを獲得したファンデルバイデン選手の例もありますが、それは長距離レースでの復帰であり、池江選手のように1/100秒を争う、100m、200mのレースではなかなか厳しいものがあるようにわしは感じています。
あんまりこういう事は言いたくないし、池江選手の再起を望んでいるのは当然なのですが。
池江璃花子と同じ白血病を克服~競泳オープンエア M・ファンデルバイデン選手の“恩返し” – ニッポン放送 NEWS ONLINE
さて、繰り返しますが、人間生きて入ればなにかしらの理不尽とはめぐりあいます。
わしにも当然これまで、理不尽な出来事はありました。
若い頃は、どうして自分がこんな目に?と嘆いたり、怒ったりもしたものですが、30歳も過ぎてくると、こういうことは確率論的に起こることだから、怒っても仕方がない、諦めよう、流そう、と解決できていました。
ところが、スピリチュアルを意識するようになってからは、理不尽が偶然として、確率として身に降りてきているとは感じづらくなりました。
はっきりと分かっているわけではないのですが、この理不尽の裏にはなにかしらの意図が働いているのではないのかと、いくばくかの疑いを持つようになりました。
同じくスピリチュアリズムを信じている、あるいは感じている人でも、素直な人は、これは自分がなにかしら試されているとか、試練であるとか感じるかもしれません。
あるいはこんな理不尽はない、これはこの方向に進むなというサインなのだ、と感じる方もあるかもしれません。
それが後々考えてみれば、人生の良い転機になったと言う方も大勢いらっしゃいます。
今や日本を代表するような経営者になった孫正義氏。
その孫正義氏が創業当時に重い肝臓病を患ったエピソードがあります。
会社が軌道に乗り始めた時期でしたが、孫氏は即断で入院を決め、合間合間に重大な経営の意思決定を行っていたそうです。
これもなんでこのタイミングで起こる?という類の理不尽の典型だと思います。
それでもスピリチュアルを感じる前のわしであれば、こういう事も確率的に起こるかもねぇ、とか思っていたと思いますが、今はそうは思えません。
わざわざそんなタイミングを狙って、理不尽が起こることがあり得るのでしょうか?
そこにはなにかしらの意図、もしくはめぐり合わせのようなものがある可能性が高いように思えるのです。
今のわしは妙なタイミングで理不尽が起こった時(まぁ大体は、すごく大きなトラブルというわけではないのですけど)、なんでこのタイミングで来るだんバカ野郎!と思うことが増えました。
なにかの意図がその裏にあるのではないのか、何かの因果かめぐり合わせか?と感じることがあるのです。
まぁ、人生そういう事もあるよね、とかさらっと流せないケースがあるのです。
(まぁ、それでも大体は流すんですけど)
なんなら神のバカ野郎!ぐらい思うこともあります。バチあたりですね。
もう少し素直なスピリチュアリストにならないといけないのかもしれません。
嫌になりますね、本当。
自分がスピ体験した意味がわからない。
それまでどおり、即物的、唯物的な人間であった方が人生生きやすかったような気がしてます。
201022追記
ちょっとあれ?っと思うようなシクロにシティー現象はしょっちゅうあります(´Д`)めう
余談ですが、ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」シリーズがめちゃくちゃおもしろいです。
このシリーズによると、古代の、あるいは現代まで続くキリスト教等大規模宗教含めて、ほとんどの宗教における神との遭遇や神秘体験などが、宇宙人との遭遇体験だったのではないか?と問題提起をしています。
その証拠をいくつもいくつもこれでもか、これでもか、と突きつけてきます。
なんなら、神ってつまりは宇宙人だよね?って言っています。
面白いですよ。
オカルト最高┌(┌^o^)┐めう